いまちょいと話題になっている本の紹介です。「人生の旅を行く」(吉本ばなな著、幻冬社文庫)
「ある居酒屋での不快な出来事」
東京でチェーン展開しているある居酒屋で、(バイトらしき女性店員にことわりを言って)一時帰国した友が持参したデザートワイン1本を開け、7人の友人たちで少しずつ味見をしていた。ところ、突然店長というどう考えても年下の若者が出てきて説教したらしい。「こういうことをしてもらったら困る」「ここは店である」などなど。
ここからは主観を交えたくないので、著書の原文通りを抜粋します。
私たちはいちおう事情を言った。この人は、こういうわけでもう日本にいなくなるのです。その本人がおみやげとして海外から持ってきた特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。
店長には言わなかったが、もっと書くと実はそのワインはその子の亡くなったご主人の散骨旅行のおみやげでもあった。人にはいろいろな事情があるものだ。
しかし、店長は言った。ばかみたいにまじめな顔でだ。
「こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです」
いったい何のきりなのかよくわからないが、店の人がそこまで大ごとと感じるならまあしかたない、とみな怒るでもなくお会計をして店を出た。そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。
もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。それが成功する人のつかみというもので、本屋さんに行けばそういう本が山ほど出ているし、きっと経営者とか店長とか名のつく人はみんなそういう本の一冊くらいは持っているのだろうが、結局は本ではだめで、その人自身の目がそれを見ることができるかどうかにすべてはかかっている。うまくいく店は、必ずそういうことがわかる人がやっているものだ。
そしてその瞬間に、彼はまた持ち込みが起こるすべてのリスクとひきかえに、その人たちがそれぞれに連れてくるかもしれなかった大勢のお客さんを全部失ったわけだ。
居酒屋で土曜日の夜中の一時に客がゼロ、という状況はけっこう深刻である。
その深刻さが回避されるかもしれない、ほんの一瞬のチャンスをみごとに彼は失ったのである。そして多分あの店はもうないだろう、と思う。店長がすげかえられるか、別の居酒屋になっているだろう。
これが、ようするに、都会のチェーン店で起こっていることの縮図である。
それでいちいち開店資金だのマーケティングだのでお金をかけているのだから、もうけが出るはずがない。人材こそが宝であり、客も人間。そのことがわかっていないで無難に無難に中間を行こうとしてみんな失敗するのだ。それで、口をそろえて言うのは「不況だから」「遅くまで飲む人が減ったから」「もっと自然食をうちだしたおつまみにしてみたら」「コンセプトを変えてみたら」「場所はいいのにお客さんがつかない」などなどである。
オイラが店長だったらどうしただろう?
まず、「異様な年齢層等とは分かっても、かなりの人脈を持っている人たち」とは気づかなかっただろうな。それに、もしそういうニュアンスを感じるか感じさせられたら、天の邪鬼なオイラは、わざとらしくとも毅然と断っていただろうね。とはいえ、接客業はやったコトないし雇われ店長の経験がないからなあ・・。
オイラが吉本ばななだったらどうしただろう?
まず、海外から大切な友が帰ってきてしかも送別会を兼ねているのなら、チェーン展開している居酒屋では会を開かないだろうね。いろいろとお店選びに時間をかけていると思う。それにチェーン展開している居酒屋の店長は、きっと本部から通達されているマニュアルどおりに対応したのだろうから、いくら不愉快だったとしても、著書に掲載するなんてことはしなかったと思うな。融通話って難しいね。頭が悪く、特別な人間ではないオイラには、ちょいと読んでいて不快?というまではないにしても、気持ちの良い話ではないですな。もっとユーモア交えて語っても良かったのではないか?と恐れ多くも考えてしまいます。
いろいろなブログでこの話は盛り上がっていますが、ここでは、肯定も否定もしません。ただ印刷媒体(幻冬社文庫)に掲載されているので、興味のある方は吉本ばなな著書をお読みください。
今日は話が長くなったので、初めての写真なし。そしていつもの金曜日ですわ。
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